親愛なるショパン2010/07/17 10:04

今年はショパン生誕200周年。
ピアニストにとっては少し特別な年です。
小さいころからショパンばっかり弾いてました、というピアニストは決して少なくないと思いますが、
ご多分にもれず、僕もそのうちの一人でした。
今までで一番たくさんの作品を演奏した作曲家は誰ですか、と聞かれたら、
間違いなくショパンと答えられるくらい、
たくさんショパンと触れ合ってきました。

偉大な作品というのは不思議なもので、
その作曲家がどういう人間だったのか、というところまで肌で感じられるほど、
いろんなものが伝わってくるものです。
シューマンはきっとこの時こんな風に悲しんでいで、でも愛に溢れていて、
リストはきっとその時こんなに輝いていて、でも心のどこかに空虚なものを抱えていて、
とか、伝記を読まなくてもその曲の中に自分が深く沈んでいけばいろいろと見えてくるものなんですが、
しかし、ショパンだけはどれだけたくさんの作品を弾いても、
なぜか最後の最後でドアをパタッと閉じられてそこから先を見せてもらえないような感覚をずっと持っていたんですね。
自分なりのショパンの弾き方も確立出来ていたし、誰の弾くショパンがいいというようなのもかなりはっきりしていたし、
もちろんショパンの人生やエピソードも知っていて、
いろんなことが分かっているような気がしているのに、
それでも、ショパンはどういう人ですか、と言われたら一瞬答えに困ってしまうような、
そんな感覚でした。

それが、2年前に初めて幻想ポロネーズを弾いた時に、ショパンの目の前に立っていた氷の壁がスッととけてなくなったような感覚を味わったんです。
そうか、ショパンはものすごく鋭い痛みや淋しさを持っていたけど、
それと同時に大きなプライドもあって、
簡単に心の一番奥の弱い部分を人に見せることは出来なかったんだ。
そう思った瞬間、全部が自分の中でつながって、
ようやくショパンという一人の人間を少し理解出来たような気がしました。
その後で弾くと、今まで弾きなれたはずの曲が全部違った意味を持って波のように押し寄せてきて、
ますます彼の描く世界の虜になりました。
特に、ソナタ3番では今まで自分はいかに分かっていなかったか、ということを痛感させられました。
好きな曲ではあるけれど、どこか冗長なところもあるなぁ、
くらいに思っていたんですが、とんでもない。
ショパンの全作品の中でも1,2を争う名曲で、
その感傷的な世界観を持ったまま、ベートーヴェンにも匹敵するような壮大さをこの曲で彼は手に入れたんだ、と思うようになりました。
まだその世界を完全に表現できるかどうか分かりませんが、
とにかく聞いて下さる方にこの曲の素晴らしさを伝えたい。
そんな想いでプログラミングしました。

ショパンの魂の願いが、一人でも多くの方に伝わればいいなぁ。

松本和将(ピアノ)

7月17日2010/07/17 10:10

せんくらは、クラシックのフェスティバルなのですが、
小松氏はもちろんクラシックの曲を演奏するわけではありません。
タンゴですので、ちょっとジャンルは異なりますが、タンゴとクラシックは
わりと共通点もあります。

実際、クラシックの音楽大学を卒業した演奏家の方がタンゴのバンドで活躍している
という例はたくさんあります。

何が一番にているかというと、
アドリブではなく、完全に書かれている譜面に沿って演奏するということです。
これは皆さん、結構意外に思われるのですが、そうなんです。

ですので、小松さんは、いろいろなバンド編成で新しい曲を演奏する場合、
ほとんどの譜面を自分で作成しています。
11人編成の譜面作成など、考えただけで私はぞっとしますが・・・。
ですので、コンサートのない日はほとんどアレンジと譜面作成に費やしている小松さんです。


P.N.せんべい(小松亮太マネージャー)

7月17日2010/07/17 12:52

昨日から広島に来ています。
実は僕は広島生まれで、中学3年の時に東京に出るまでここ広島で過ごしました。
上京した後も、両親をはじめ親戚のほとんどが広島に居たこともあって、年に何回かは必ず広島に「帰って」いました。
しかし大学卒業後ドイツに留学して、その後日本に戻ってからも東京に居を構えたこともあって、広島に「戻って」住むということはありませんでした。
広島には広島交響楽団という素晴らしいオーケストラがあり、幼少のころから親に連れられて聴きにいっていました。
その当時から指揮者に憧れていた僕は、その当時の常任指揮者でいらした井上一清先生や事務局に手紙を書いたりする、ちょっと大胆な子供でした。
ドイツ留学から戻ってすぐに、新人演奏会の指揮をさせていただいたのがもう20年以上前のことになります。それからは「仕事」で帰ってくるようになりました。
「生まれ故郷」っていいなと、最近つくづく思います。
街も人も少しずつ変化しているのですが、それは当然のことで、でもその中で変わらないものがある。そして育まれていくものもある。
昨夜たまたま秋山和慶先生の指揮する広島交響楽団の演奏会があったので聴きに行きました。ここ何年かこのオーケストラを指揮させて頂いて感じるのは飛躍的にそのクオリティーが向上したことです。勿論比べるべくもありませんが、僕が幼少の頃、プロ化されて間もなくの広響とはまさに隔世の感があります。
演奏会の後、もう40年にもなろうという付き合いの餃子屋さんで食事しました。
僕が小学生の頃、見習いだった若い「兄ちゃん」が、もう白髪混じりの「おじちゃん」です。でも変わらずその元「兄ちゃん」が鍋をふるって料理をし、餃子の味は天下一品です。
19日に開催される広島交響楽団の演奏会のリハーサルが、今日から始まります。
プログラムは、ブラームスの1番のシンフォニー、ソリストに田村響君を迎えてモーツァルトの21番のコンチェルト、そしてシューマンの「ゲノフェーファ」序曲。
「ゲノフェーファ」はシューマンの書いた唯一のオペラで、上演される機会は少ないのですが、今年はシューマン・イヤーということもあって、ヨーロッパの歌劇場でも取り上げられています。
実は来年2月、新国立劇場での東京室内歌劇場の公演で、日本初演を指揮します。
でもこの広響のプログラムは、それが決まる前に決まっていたのです。
何たる偶然!!
それでは、行ってきます!

山下一史(指揮)

「クラシック音楽のパワー」2010/07/17 18:54

3日間連続で行った、スクールコンサートが無事に終わりました。

2日目のブログに書いた、市長さんとお会いした日に受けた

新聞とテレビの取材が、記事になり、放送されました。

その記事&放送をご覧になった、この数年間で演奏させて頂いた、

宮城県内のホールスタッフの皆様、コンサートにいらして下さったお客様等

から、沢山の、コンマス就任への温かなお祝いメッセージを頂き、

とても嬉しくなりました。

(スクールコンサートでも、生徒さん達から「見たよ〜!」と声をかけて

頂きました)。皆様どうも有難うございます。



宮城県内、あちらこちらで弾かせて頂きましたが、どこの方も

心温かく、またさりげないお心遣いをして下さり、演奏に集中出来る

環境を整えて下さいました。

2006年にせんくらに参加させて頂いた時も、スタッフの方に

大変お世話になり、従姉の礒絵里子、そして共演者のギターの福田進一さん、

ピアノの浦壁信二さんと、楽しんで演奏させて頂いた事を思い出します。

満席のお客様の何と温かかった事!(仙台フィルのお客様も、とても

温かいです♪)。

仙台で、せんくら、国際コンクールが成功しているのは、スタッフ、

ボランティアスタッフ、演奏者、そしてお客様の、

“クラシック音楽を心から愛する気持ち”に溢れているからでは

ないでしょうか。



特にクラシック音楽には、想像力を豊かにし、悲しい時には慰め、

疲れた時には癒してくれ、楽しい時には盛り上げてくれるパワーがあります。

クラシック音楽を聴くだけで、その作品の時代にタイムスリップした気にも

なり、旅行した気にもさせてくれるし、植物や動物(人間も??)が

すくすく育つ、なんて事もあるなんて、すごい事だと思いませんか?



今年のせんくらでは、コンマスでの出演の他に、ソロでも演奏させて頂きます。

私が担当するヴィヴァルディの四季「春」は、特に風景が浮かんでくる、

バロックを代表する、素晴らしい作品!

ヴァイオリンで小鳥の鳴き声も出しますよ。

どんな小鳥になるでしょうか?? 私自身、楽しみです。





今日で私のせんくらブログは終わり、指揮者の山下一史さんに

バトンタッチです。

読んで下さり、どうも有難うございました。

普段書いているブログhttp://yaplog.jp/miho1017/

もご覧頂ければ幸いです。



それではせんくらでお会いしましょう!

 

             ヴァイオリニスト 神谷未穂